326: 名無しさん@HOME 2008/02/15(金) 11:23:06
エネスレをROMってきて、父親が見事なエネだった事が分かった。 
本家エネスレに書くわけにもいかないので、チラ裏に失礼します。 

祖父が戦死したため、父は母子家庭で育った。 
農地改革により土地を失い、お嬢様育ちだった祖母は就学前の義弟義妹を抱えて大変苦労したそうだが、何とか一人息子だった父を東京の大学へ遣る事ができた。 

引用元: 【enemy】真のエネミーは義実家ではなく配偶者79【=敵】






と書くと美談のようだが、実は祖母はかなりの「毒親」で、
父は幼い頃から八つ当たり気味に虐待を受けていたらしい。 

父はそんな祖母に対して反発しつつも、親孝行をしなければと思っていた。
そして父はそのまま東京で就職、後に母とであい結婚する。


新婚当初の父
・母が絵を飾る→(将来)お袋が一緒に住む時になった時、こんな絵が飾ってあったら(お袋は絵の事なんか分からないから)困るだろう!」

・母「夏休み、どこか旅行へ行く?」→むすっとして「お袋はどうするんだ」→盆暮正月は毎年、父の田舎(以下、義実家)へ帰省。

・義実家にて、母「折角だから近くを観光したい」→「お袋はどう(ry」→帰省の間中、親戚めぐりを除いてずっと義実家から出ず

・義実家での食事作り、洗濯等の家事は当然全て母の仕事。
ここまでは単なるマザコンだった父だが、二人目の子供が生まれてから変わった。


我家が更に遠方に引越した為、帰省の頻度が減り、精神的にも物理的にも祖母から離れた父は、年寄って少し弱体化した祖母に反抗するようになる。
明らかにおかしい祖母の言動に対して、声を荒げ威嚇して叱りつけることによって言う事を聞かせようとした。

想像だけど、きっと幼い頃の父は祖母から同じように躾られてきたのだと思う。「ボス猿交代」みたいなものかと。

327: 名無しさん@HOME 2008/02/15(金) 11:23:48
(続き)

やっかいだったのは、祖母に対する怒を顕にする様になっても父の根っ子には依然として「親孝行すべし」の気持ちがあることだった。

結果、祖母の非常識な言動については散々罵詈雑言を尽くすのに、同じ口で
「(自分に被害が及ばない範囲であれば)妻子は祖母に仕えるべし」むしろ
「祖母を優先しない=祖母が死んでもいいって事か?!」と家族を責めるようになった。
(自分で書いてて父のワケ分からなさに涙orz)


・母方の祖母が余命半年となった時、母方の親族が最後に家族旅行をしようと母を誘ったが「帰省はどうするんだ。お袋をないがしろにするのか」と反対。

・今ではもう、自分は年に一回も祖母に会うか会わないかなのに、子ども達が祖母とコンタクトを取らないと「祖母が死んでもいいっ(ry」と罵る。

・母の日に4姉妹弟でプレゼントを贈ったら「こんな物贈ってきて、お祖母ちゃんには何にも無しか!お祖母ちゃんの気持ちを考えてみろ!」と怒られる(イミフwwwwwwwwwてかお前が贈れwwwwwwwww)

・相変わらず義実家では家事は全て母+私達姉妹が担当。

・ちょっとした宴席を開いた時も、父+弟(末っ子だが長男)+親戚の男性+祖母は上座、女性は下座にくっきり分かれて座席を用意するも、母と私達姉妹のお膳は無し。(台所と座敷を行ったりきたりで食べる暇も無かったけどね)


思うに父は「貧しい中、大変な苦労をして病弱な自分を育ててくれた恩」にがんじがらめになってしまって「毒親」な祖母と向き合えないまま来てしまったんだろうなぁ。

こういうのって共依存?何かの人格障害?なのか?
それもこれも時代が悪かったから、生い立ちを考えれば無理ないと、父と祖母がどこかおかしいと感じ始めた頃からそう考えて自分を納得させて、駄々っ子をあやすような気持ちで父と祖母に接してきた自分は、見事に
メンヘラを患いましたorz

328: 名無しさん@HOME 2008/02/15(金) 11:30:06
実に典型的なアダ/ルトチルドレンかと。


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